2015年1月21日水曜日

Je suis charlie について

 2015年1月7日のシャルリーエブド編集部襲撃事件以来、ディジョンでも町の至る所で「Je suis charlie 私はシャルリー」のポスターを見かけるようになりました。この言葉には「言論の自由」「テロ反対」など沢山のメッセージが込められていると思うのですが、日本人である私はすんなりと溶け込めないものがありました。事件後、右向け右、みたいな感じで、みんなが口を揃えてJe suis charlie を表明し始めたことにピンとこない自分‥…。
 
 ディジョンでも、1月11日にテロ抗議デモが行われました。町中に住む我が家の前を、フランス国旗を持ったおじさんやおばさんがゾロゾロ歩いている中で、小さな子供が手書きの「Je suis charlie」のポスターを持ち足早に歩いていく姿を見て、こんな小さな子供でさえも、社会で起こったことに関心を示している、世間のことに目を向けているというのは、素晴らしいことだな、と少し羨ましくも感じました。すぐに自分の意志を表明する、行動に移す国民性「団結するフランス」を見たように感じました。
 
 事件後「表現の自由」や「風刺画」に対して物議を醸していますが、フランスは「風刺画」が社会に根付いた国なんだと思います。ちょっとした会話の中でも、ironique(皮肉)な表現やブラックジョークを利かせて話したりするのを楽しんだりする傾向があるように感じます。
 そのことについて、最近周りと話す機会があるのですが、私個人としては、
言論の自由はわかる、いかなる理由があっても、テロは許される行為ではない。でも過度の風刺画が他人の気持ちをむやみに傷つけることもある。罪の無い人を巻き添えにしたおぞましい事件が起きた後に、敢えてこの時期に、最新号に風刺画掲載を続けることがいいことか、考えるべきではないか」と。そう言うと、大抵の人は「あれは(風刺画)に過ぎないから」「僕たちには、Liberté d'expression(言論の自由)があるから」と。確かに風刺画に馴染みのない日本人である私たちは、どうしても絵だけで判断してしまう部分がありますが、フランス人はページに書かれた文字全てから筆者のメッセージを読み取るので、フランス人と日本人の解釈に温度差ができてしまうのは無理もないことかもしれません。彼らと討論してて思うのは、これが「文化の違い」なのかもしれないということ。普段の生活の中でも、この「小さな言論の自由」に振り回され、嫌な気分を味わうこともある私は(相手のことも考えずに何でも思ったことを言えば良いというものじゃないよ!と思うことがしばしばあります‥…苦笑)、「フランスはテロに屈せず、言論の自由を守るべき!」みたいな報道や意見に対して、書く側、情報を発信する側の「責任」についてももう少し触れてもいいのではないかと感じます。これ以上、悲惨な事件が起きないためにも。

最後になりましたが、
この事件で犠牲になってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します。

2015年幕開け早々、痛ましい事件が起きてしまいましたが、
羊年、どうか心穏やかに過ごせますように‥…。












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